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乗車券は一筆書きで [鉄道]

先週は寝台特急「日本海」乗車について書きました。
今日たまたま写真を見ていて、その時に使った切符も撮っていたので、その切符について少し触れておこうと思います。

これから書く事は、鉄道好きや旅行好きな方にとっては常識のひとつでしょうが・・・

今回の行程は、
京都~(東海道新幹線)~新横浜~(東海道)~東京~(東北新幹線)~新青森~(奥羽線)~青森~(奥羽線・羽越線・信越線・北陸線・湖西線)~京都
という乗車になりました。

この行程を示し、乗車券を購入するのですが・・・

近くのJTBへ行き、窓口の若い女性社員さんにこの経路を話し発券をお願いすると、暫し考えた後に端末を操作し発券してくれたのが京都~青森・青森~京都の連続乗車券でした。
この場合の運賃は、13,760円と11,970円の合計25,730円

ある程度予想はしていましたので、「悪いんだけど、今から言う経路でもう一回操作してちょ」と端末画面を見せてもらいながら、経由などを指示して発券すると、21,470円となりました。
その乗車券は、先ほど書きました経路で、唯一重複乗車となる新青森~青森間だけを除外して、京都市内~(先述各路線経由)~京都市内とし、新青森~青森の往復乗車券を別に用意した形です。
これで、21,110円と180円×2の合計21,470円と4,260円の節約となりました。

窓口の若い女性社員さんがちょっと可愛い方でしたので、なんとなくマニアックで恥ずかしかったのですが、「なるほど~」と愛想良く感心してくれたので、まぁ・・・

ご存知の通り、JR(国鉄時代から)の運賃は、距離が長くなればなるほどに割安となる遠距離逓減制となっているためで、出来るだけルートが重ならない一筆書きの距離を延ばすと運賃が節約できるという事です。

子供の頃や学生時代は、少しでも節約しようと、こうした事を考えて時刻表や地図を何度も何度も繰ったものですが、今はその根気も無くなって来ちゃって・・・
もしかしたら、今流の節約術もあるのかも知れませんね。
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寝台特急「日本海」・・・後篇 [鉄道]

すっかり眠りに落ちていたようで、次に目が覚めた時には空が少し明るくなり始めていました。
「はて?今はどのあたりかな・・・定刻なら金沢の手前だけど」と思って停車した駅の駅名を見ると直江津。

そしてしばらくして朝一のおはよう放送が入りました。
列車は、羽越線内での強風による徐行と、新津(長岡だったかな?)駅構内のポイント故障により、およそ2時間遅れているとのことでした。
そして、その後の放送により、列車はこの先、通勤・通学列車と、「サンダーバード」・「しらさぎ」などの列車を優先させるために更なる遅れの増大が見込まれる事。富山から救済列車として、定時運行され京都大阪へは早く着く事が出来る「サンダーバード14号」への乗換えが可能な事などが告げられました。
(と言っても、「日本海」に乗る事が目的の乗客が大半だったので、実際に乗り換えたのは数名程度でしたが・・・)

列車が遅れているおかげで、定時運行なら闇の中だったはずの親不知の海岸からの日本海が臨めました。
さすがに冬の日本海だけあって、海の色も暗く波も荒らそうで、寒々とした印象を受けました。

さらに遅れているおかげが・・・
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剱岳を含む立山連峰からの朝焼けと日の出を見る事が出来ました。

夜行列車で朝を迎え、そして車窓から日の出を拝む事が出来るなんて、これぞ夜行列車の魅力のひとつかな・・・。

「日本海」はその後も淡々と走り続け、途中「サンダーバード」や「しらさぎ」にも道を譲りながらも、各駅の停車時間を最小限に削り、2時間15分前後の遅れを維持しながら終着へと急ぎます。

芦原温泉駅で20分停車し、2本の昼行特急を先に通します。なお、停車駅では無いので、ドアは開きません。
大昔の旧型客車なら、手動のドアを開けてバラバラと乗客がホームに出ちゃう所でしょうね。
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この「日本海」には食堂車なんて連結されておらず、車内販売もここまで一切無いので、飲食物の調達は乗車前に駅などで済ませておかないといけないのですが、通常予定では6時16分着の金沢からは車内販売が乗車するはずでした。
なので、私も含めて「朝食分は金沢からの車販で」と思っていた人も多かったはず。
が、「列車が遅れた関係で、今日は車販は乗車しないので、途中敦賀で19分停車する間にホーム売店で買い物をしてほしい」と放送されました。

で、その敦賀には10時37分頃に到着。
待ってましたとばかりに、ホームの売店へと走る人。そして上り「日本海」の見どころポイントの一つ、機関車交換を見る為にホームの最前部へと走る人。(下り列車は大阪~青森通しなので交換はありません)
私は・・・もちろん、最前部の寝台ですから、まずは機関車交換見物。

青森から頑張ってくれたEF8143はここでお役御免。
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バトンタッチして終着大阪まで牽引するのはEF81108。こちらはオリジナルのローズピンク色。(昔とちょっと色が変わったかな・・・)
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運休がなければ、この夜の下り「日本海」を引いて青森まで行き、翌日の上り「日本海」で敦賀へ戻ります。
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この機関車交換を見に集まった鉄道好きや親子が、機関車と客車との連結の瞬間を見守ります。
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敦賀発車後は湖西線を走り、京都手前の大津京駅で再度「サンダーバード」に道を譲り、京都には12時15分。2時間24分遅れで到着しました。
この日は日曜という事もあってか(通勤・通学列車の影響が少なかった)、遅れは増大せずに済んだようです。
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2時間以上遅れたという事で特急料金3,150円は払い戻し。
いつもなら列車が遅れるとイライラして困りますが、今回は2時間も余分に「日本海」の旅が楽しめて、更に特急料金も払い戻されて、ちょっと得した気分。


こんな感じで、私の寝台特急「日本海」との最後のお別れ乗車が終わりました。
定期廃止という事で、臨時列車や季節列車としての再登場はあるかも知れません。が、同じ感じで廃止された寝台特急「つるぎ」は、以後一度も運行される事はありませんでしたから、当てにはなりません。
またひとつ思い出の列車が無くなります。
「さくら」「みずほ」「銀河」・・・
今や青森までは新幹線で6時間以内と昭和には想像も出来なかったくらいに速くなりました。その陰で、こうしてまたひとつ昭和の産物が消えて行きます。
時代の流れとは言え、なんとなく全てがドライに格好良くなっちゃうようで寂しいですね。
出来るなら、こんな旅のあり方もまだまだ残して行って欲しいと、今回乗車して改めて強く思いました。
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寝台特急「日本海」・・・中篇 [鉄道]

遅れている八戸からの列車の到着を待って、定刻19時31分から数分遅れて青森駅を発車。
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私の寝台は1号車15番下段。
10号車まである(7・8号車は欠車)編成の中で、私の寝台が一番前になります。寝台券を予約する際に、A寝台・禁煙B寝台が取れなかったので、せめてもという事で、お向かいさんのいない15番を予約しました。
車輌がオハネフ24なら片側のみ寝台で前は壁になるのですが、この夜の編成ではオハネフ25だったので、向かいも16番の寝台なのですが、発券ミスなどの調整用になるので、まず乗客が来る事はありません。
(寝台券発券時には、オハネフ24かオハネフ25のどちらが来るか分からない為です。)
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B寝台は、片側通路の昔ながらの寝台車の雰囲気です。
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通路には折畳み式の椅子があり、眠れない時など、寝台外で車窓を眺める事が出来ます。
寝台側から眺めるとこんな感じ。
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夜行列車の楽しみは、やっぱり寝酒(^O^)
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おつまみには青森駅で調達した「ほたて十万石」。3年前に津軽を訪れた際に出会った蒲鉾。これが美味しいんです。
夕食は、これまた青森駅で仕入れた駅弁
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時間はたっぷりとあるので、列車に揺られながらのんびりと・・・
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お昼の列車、ましてや新幹線などでは決して味わえない独特のまったり感が味わえます。

途中停車駅のホームも、すっかり雪に埋もれてました。(画像は大鰐温泉駅20時31分)
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時刻が21時を過ぎた頃、車内放送を翌朝まで休止する旨を告げる「おやすみ放送」があり、どの時点からか忘れちゃいましたが、車内の電灯も減光され、夜行寝台列車の雰囲気が更に増しました。

寝台に入り横になると、うつらうつら・・・
夜半に目覚めて窓の外を眺めると、先頭の機関車ヘッドライトが周囲の闇を切り裂いて進むのが見え、なんだかたのもしく感じました。
また、闇の中から時よりシグナルや踏切りの明りが、幻想的にスゥ~と近付き、そして後方へと流れ去って行きます。
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そのうちにまた眠りに落ちたらしく、次に目が覚めると列車は鶴岡駅に停車していました。定刻からは約1時間遅れのようです。
と、鶴岡駅の風景が夢の中の事のような感じで、次に目覚める朝6時まですっかり寝込んでしまいました。

寝台特急「日本海」・・・前篇 [鉄道]

今回の同業者会定例会の開催地が決まったのが昨年の秋。
その時にふと「せっかくだから、行きか帰りに足を延ばして“日本海”に乗ってみよう」と。
“日本海”とは、大阪と青森を結ぶ寝台特急の事です。

私が鉄道に興味を持ったのが幼稚園の頃。そして小学生時代にブルートレインブームがやってきて、もちろん私も写真を撮影したり、親にたのみ込んで実際に乗ったりしていました。
中学生の頃になると周遊券を使って一人旅をするようになり、中3の夏に東北を宿も取らずに夜行列車だけで1週間旅した帰りの最後に乗ったのがこの“日本海”でした。

そして時は流れて、いまやブルートレインも終焉の時を迎えています。
今現在、定期列車として残っているのが、この“日本海”と上野~青森の“あけぼの”、上野~札幌の“北斗星”くらいかな。トワイライトエクスプレスやカシオペアはちょっと毛色が違うし、サンライズは電車だし・・・
このうちの“あけぼの”は3年前に乗りましたから、今回は廃止になる前に“日本海”に乗ってこうと言うことです。

と、寝台券発売の乗車1ヶ月前を待っていると、12月に入って「“日本海”定期廃止」のニュースが流れました。
そうすると、私と同じく「昔を懐かしんで最後に乗っておこう」という人や、いわゆる葬送鉄と呼ばれる人たち、そして、オークションでちょっと稼ごうと言う人たちで、発売日にはあっという間にA寝台や禁煙B寝台の下段は売り切れちゃいました。
私は、1月4日は挨拶まわりがあったので、お昼前に旅行会社で予約をしたのですが、喫煙のB寝台下段がやっと購入できたと言う感じで・・・

で、乗車日が近付くにつれて、更なる不安がやってきました。
ここの所の日本海側の大雪で、1月29日(日)以来、毎日“日本海”はじめ、東北・北陸方面の夜行列車は運休が続いていました。
私が乗る4日の一日前の3日も、6日連続での運休となり、果たして4日は出るのかどうか・・・
4日の朝から、JRのホームページの運行状況を何度も確認しながら、また東京駅の新幹線乗車口でも確認しながら、「今夜も出ないかも」と不安を抱えて青森へと向かいました。

前記事の通り、19時頃に青森駅に着くと、どうやら今夜は間違いなく出るようです。
発車案内表示には「寝台特急 日本海 大阪」の文字が・・・
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もしかしたら、3月以後はこの青森駅に「大阪」の文字が表示されることは無いかも知れませんね。

食料や飲み物を調達してホームに向かうと、列車はまだ入線前でしたが、たくさんの鉄道ファンの人たちがいました。
ホームの屋根からはこんなツララも
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19時10分過ぎに、いよいよ青森運転所(車庫)から青森駅まで先導役のディーゼル機関車に牽かれ、ブルーの車体の“日本海”が入ってきました。
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今夜の牽引機はEF8143。トワイライトエクスプレス仕様の塗色です。
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ちなみに、この機関車は青森~敦賀間を牽引します。敦賀で機関車を交換し、大阪着後その機関車が下り列車の大阪~青森全区間を牽引し、そして上りの青森~敦賀を牽引し運用終了です。でも、今回は雪で運用が乱れているので、この43号機の前運用は?
機関車の前頭には、日本海の荒波をイメージしたヘッドマークが輝きます。
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雪の降り積もった青森駅3番線で発車を待つひと時。
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背後には青森ベイブリッジが・・・
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まもなく発車です。

長良川鉄道 [鉄道]

先月、ラフティングへ行く際に利用した長良川鉄道。単行のディーゼルカーがコトコト走るローカル線です。

もともとは1923年の美濃太田駅~美濃町駅の開通を皮切りに、1936年に北濃駅まで延長された旧国鉄の越美南線として、名古屋・岐阜からの行楽客やスキー客輸送、そして木材などの貨物輸送にと活躍してきました。
越美という名前から分かる通り、計画当初は岐阜(美濃)の美濃太田から福井(越前)を結び、中京圏と福井を最短距離で結ぶはずだったのが、越美北線として福井から伸ばされた九頭竜湖駅と越美南線・北濃駅間だけが僅かな距離を残して計画中止となってしまいました。
県境にまたがる両白山地を越える難工事と、モータリゼーションの波による客貨需要の減少が、全線開通を夢と終わらせたようです。

そして1986年に赤字国鉄から分離され、岐阜県や周辺自治体や企業が出資する第三セクターの鉄道会社として設立された長良川鉄道に引き継がれました。

現在も東海北陸自動車道の開通などもあり、乗客の減少に歯止めがかからず、また風水害に何度も見舞われた事もあって、経営は非常に厳しい状態が続いているそうです。

そんな長良川鉄道に今回乗ってみましたが、ローカル線の昔懐かしい匂いがプンプン残っており、とってもいい感じでした。

関駅のホームは昭和の匂いの感じさせます。柱のペンキが水色なのがちょっと残念・・・
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関駅には車庫も併設されていて、車輌の整備・検修なども行われいるようです。
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その車庫がある関係で、鉄道模型で再現したくなるような配線レイアウトに・・・
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ナガラ201。1両だけ存在するナガラ200形車輌です。側面には沿線の四季をイメージしたイラストが描かれています。
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ワンマン運転で、バスのように乗車時に整理券を取り、降車時に運賃箱へ運賃を支払います。(大きな駅では乗車時に切符を買う事は出来ます。)
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みなみ子宝温泉駅の駅舎は温泉施設。
長良川鉄道に乗車すると、この駅での下車時に乗車証明書が渡され、これがあると入浴料がタダになり、入湯税の50円のみで温泉に入る事ができます。
温泉に入って、ビール・お酒や、麺類や丼などを食べたり、ゴロリと横になってお昼寝もできます。
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帰りの列車の時間は、壁面にある信号機を見ればOK
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青(緑)が到着30分前、黄が15分前、赤が5分前です。

ホームに出ると、二条の鉄路のみが伸びるローカル色豊かなな景色が・・・
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先ほどの壁面赤信号が接近を告げていた北濃行きの列車が到着しました。
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現在もなお、さらに経営状態は厳しいようです。
ですが、こんな昭和の匂いを残す鉄道に、なんとか頑張って生き残ってもらいたいものです。
やはり鉄道には、バスや車にはない何んとも云えない味がありますからね・・・

乗り鉄で豊岡へ [鉄道]

5月の月末は毎年恒例の豊岡行き。
去年、一昨年と過去記事にも書いていますが、豊岡の地場産業である鞄の製造卸を営まれている企業さんへの訪問で、祖父の代から続いています。

今回も鉄目線での記事で・・・

月曜は、午前中に車の車検トヨタさんが引取りに来るというので、それを待ってお昼のスタートとなりました。
京都駅まで地下鉄に乗り、京都駅でお土産を買ってからJRのみどりの窓口へ。

予定では12時25分発の特急に乗り、福知山で乗り換えて14時43分に豊岡駅着。そこから歩いて「15時過ぎには着きます」と先方の会長さんにお伝えしていたのですが。

みどりの窓口にて、初めて山陰線の園部~福知山間が不通になっている事を知りました。
未明に通過した台風2号の影響で、線路への倒木、ならびに土砂の流入があったらしく、復旧の目途も立ってないとの事でした。

なので急遽ルート変更をして、新大阪新幹線で向かい、新大阪13時05分発の「特急こうのとり11号」に飛び乗りました。
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ちなみに、この「特急こうのとり」は今年の3月のダイヤ改正から「北近畿」に代わって登場した愛称です。使用車両は旧来の福知山電車区の183系電車と、この3月から新投入された287系電車で運行されています。(5月末までは日根野電車区の381系も一時使用されていました。)

さすがに183系(485系の改造バージョン)は旧国鉄時代からの車両であり、古さは隠しきれない状態でしたが、今回乗車した11号は新型の287系で、揺れや静粛さやシートの座り心地など乗り心地も良く、まだピカピカで大変気持ち良く過ごせました。
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途中、車窓に見える川は、どこも水かさ高く茶色く濁っており、台風通過による雨量の激しさを物語っていました。
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福知山からは特発となった「特急きのさき5号」(京都~福知山間は運休)に乗換えて豊岡駅には15時38分着。
この「きのさき5号」にも新型の287系が使われておりました。
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という事で、約1時間おくれて先方の会社に到着。
応対してくれた会長さんが「帰りも電車がどうなるかわからないだろうから・・・」と急いで用件をすませてくれ、「またそのうちにゆっくり来ますね」とバタバタと慌ただしく豊岡駅へと戻りました。

駅のみどりで「京都方面はまだ動いてないよね?」と尋ねると、「先ほど3時半過ぎに復旧しましたよ」との事でしたので、帰りは真直ぐに京都へ。

17時12分発の「特急こうのとり24号」新大阪行きに乗り、豊岡をあとにしました。
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行きと同じく福知山で乗換え。「特急はしだて8号」京都行き。
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車両は北近畿タンゴ鉄道のKTR8000系気動車でした。5往復のうちの2往復でこの気動車が使われているようです。
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この山陰・北近畿方面も、昔は特急では「あさしお」「まつかぜ」、急行では「丹後」「白兎」「丹波」などで気動車が大活躍していましたが、最近では専ら電車が主流になってしまいました。
なので、ちょっと懐かしい気分に浸りながらの帰途となりました。
ディーゼル車の独特の匂いとエンジン音。そして発進時の独特のスピード?感(電車のようにスムーズに加速しない)。
う~ん・・懐かしい・・・

平成8年製造で、気動車としては比較的新しい車輌という事で、けっこうスピードも出るようです。「キーん」て感じのターボノイズを響かせまくって、電車に負けじと疾走します。

そうして、最後にちょっと楽しかったディーゼルカーの旅を終えて、19時46分に二条駅へと降り立ち、地下鉄に乗換えて事務所へと戻りました。
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新型の特急車輌にも乗れましたし、思わぬディーゼルカーにも乗れて、電車旅としては楽しかったのですが、一点残念だった事が・・・

この3月から、この路線の特急列車から車内販売が撤退しました。乗換えの福知山駅のホームにも売店は無く、飲み物の自動販売機があるのみでした。豊岡駅も改装中の為かも知れませんが、ホームからはお弁当などが買えず(去年はホームから買えました)、せっかくの鉄道の旅(今回は仕事ですが)なのに何か味気無い。

台風の影響で予定変更となった私は、京都~新大阪~福知山~豊岡~福知山~と各駅を慌ただしく乗り継がなければならなくなった為にお昼を食べ損ね、朝の8時半の朝食から自宅に戻っての夕食までの13時間あまりを“オアズケ”状態で過ごしました。
まぁ、ダイエットにはなったかな・・・

乗り鉄を兼ねて・・・ [鉄道]

この前の日曜日の伊那での早稲田戦への道中。
早朝出発はちょっとキツかったですが、でも「乗り鉄」を楽しめました。

京都から伊那市までは約360kmの道程で、4本の列車を乗り継いで行きます。
調べてみるまでの印象では、新幹線で豊橋まで行って、そこから飯田線で上って行って3時間くらいまでで行けるのかなって感じだったのですが、思いのほか遠かったです。
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まず京都駅からのトップランナーは、6時14分発の「のぞみ200号」東京行きです。
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この電車は、新大阪を6時に発車する上り新幹線の始発です。日曜の始発なんて、きっと空いているだろうと思っていましたが、意外にそこそこの乗車率なのに驚きました。
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最初の乗換え駅である名古屋駅までは僅か35分。京都‐大阪阪急電車よりも短い乗車時間なので、おちおち寝てもいられません。(寝過ごしてしまうと新横浜まで行っちゃいますから・・)
「今日はいい試合してくれるかな~」なんてボーッと考えているうちに、あっという間に名古屋に到着。

名古屋駅からの二番手は、7時ちょうど発の長野行きの特急「しなの1号」。
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ネットの経路検索などで「ワイドビューしなの」と出ていたので、てっきりそれが列車名かと思っていましたが、指定券や行先方向幕の表示も単なる「しなの」。どうやら旧来の381系電車と現行のワイドビュー型車両383系電車が併用されていた頃の名残のようで、その頃は383系使用列車に「ワイドビュー」を冠していたようです。現在は全て383系で運行されているので、現場ではあえて「ワイドビュー」は冠さないようです。
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まだまだ人影まばらな名古屋駅を定刻に出発。
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発車して暫くしてから、早起きのご褒美?に名古屋駅で仕入れた駅弁を朝食にいただきました。
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普段なら「おいおい朝から・・・」と思うようなお弁当ですが、こういう時は特別ですよね。しっかりと美味しくいただきました。
それにしても、動く列車の中で食べるお弁当って、どうしてこんなに美味しいのでしょうね~

気がつくと電車は既に山間を走っており、右に左に綺麗な渓谷を見ながら、目に眩しいくらいの緑の中を進みます。
そして、次の乗換え駅の塩尻駅近くになると、てっぺんにまだ雪の帽子を被った中央アルプスの山並みが見えてきました。
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名古屋からの中央西線と、東京からの中央東線が交わる塩尻駅には8時57分の到着。ここで30分の待ち時間があります。
塩尻は名古屋と東京を結ぶ中央本線の中間点で、松本・長野や白馬を目指す列車はここから篠ノ井線に入ります。そうした交通の要衝だけに、頻繁に列車の発着はあるのですが、駅前の雰囲気は思ったよりこじんまりとしていました。「もっと駅ビルなんかがあって」と想像していたのですが、これも実際に訪れてみての発見の一つですね。

ここからは中央本線の旧線である辰野支線の電車で辰野へ。
電車を待っていると、折り返し電車が1両単行でコトコト入って来ました。
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クモハ123-1という車両で、余剰となった荷物電車を改造した電車だそうです。何度も改造した証に車端には銘板がたくさん付いていました。
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単行電車の乗客は私を含めて3人。途中駅から2人乗車があったので、延べ5人の乗車。
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とってもローカルな雰囲気の中、電車は唸りをあげて一生懸命走り、3駅目で終点の辰野駅に到着。21分の短い乗車でした。この電車は、主にこの区間の往復に使われているようです。

そして辰野で4分の接続で飯田線の豊橋行き電車で伊那市へ。
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新しい方の313系電車に当たりましたが、それでもドアは自分でボタンを押して開ける半自動だったり、駅駅で車掌さんが乗車券を回収していたりと、ローカル線の匂いがプンプン。
とっても良いお天気のなかを、右に中央アルプス、左に南アルプスを臨みながら電車は進み、10時27分に目的地の伊那市駅に到着しました。
京都を出てから4時間13分の旅でした。

伊那市駅には京都から車で来た先輩に迎えに来てもらい、そしてお蕎麦屋さんへ。
昔から伊那で試合がある時には先輩たちが訪れるお蕎麦屋さんなのだそうです。故岡先生も何度か訪れられたそうです。
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お蕎麦はしっかりとコシがあり、さすが本場の信州蕎麦。とても美味しかったです。
ただ、ビールの付き出しで出てきたのがコレ
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私はダメです・・・

0系 [鉄道]

人とは勝手なもので、いつも当たり前に存在する物に対しては全然関心を示さないのに、その存在が無くなるとなると急に愛着が湧き出したり、懐かしい思い出がよみがえって来るものなんですよね。

最近では難波の「くいだおれ」しかり、上野の「聚楽台」も閉店を報じられるとお客が溢れかえったとか・・・。

鉄道の世界では、初代新幹線車両の0系が最期の時を迎えており、夏以降新聞やテレビなどのメディアに何度も登場するようになりました。今日のso-netバクストのダーリンハニー吉川さんのブログにも取り上げられています。

ちょっと前に『目覚ましテレビ』でも特集が組まれていましたが、レポートの内容の中には???な事がちらほら・・・。
鉄道好きだからわかる事で、一般的にそんな事はどうでも良い事なのですが、例えば、
0系の良い所がいくつか挙げられていたのですが、その中でシートの幅が2列×2の4列(他は5列)なのでゆったりしている・・・とか、放送のチャイムが懐かしいとか・・その他にも・・・。

紹介された放送チャイムは100系以降のものでオリジナルでは無かったし、シートについては、4列になったのは旅客需要が少ない山陽新幹線の西側区間で主に使用されるようになった時にリニューアルされたもので、オリジナルは他と同じく5列でした。
当然、現役バリバリで東海道区間で活躍していた頃は2列+3列の5列シートで、しかも現在のものより横幅が狭く、また前後のシート間隔のピッチも本当に狭く窮屈なものでした。
ちょっと体の大きめの私は、次のモデルの100系(ライトの細くなったタイプ)が走り始めた頃には、シートピッチが広くなったのに感動し、100系を狙って乗ったものでした。

まぁ、0系が東海道を追われて西へ流れてからもう随分月日も経っていますし、その後のモデルも100系→300系→500系→700系→N700系と変遷してきてますので、人の記憶も曖昧になって来ているでしょうし、全く乗った事も無い若い方も多いでしょうから仕方ないですよね。
それに、鉄道に興味があった人の中でも、0系の全盛時代なんかは、同じ顔ばかりの新幹線を追っかける人は稀でしたし・・・。
逆に、新幹線が開業するまでの「つばめ」や「はと」、「かもめ」「こだま」・・といった往年の名特急を廃止に追いやった悪役として、新幹線を嫌う人も多かったと思います。

その悪役が、新型車両によって西へ西へと追いやられて最期の時を迎えるんですから、時代は繰り返すものなんだな~と思うとともに、その0系を見ながら育った私も随分いいお歳となったもんです。
子供の頃から東京へ行くと言えば0系でしたし、高校や大学時代のラグビーの東京遠征や応援なども全て0系でした。働きだして、勤務地の横浜や東京から帰省する時も、まだまだ0系が頑張っていましたし、0系には随分お世話になったものです。
でも、そんな思い出も、引退すると知ったから思い出すようなもので・・・・
最後にもう一回乗っておこう・・・なんては思いませんがね~
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さくらの思い出 [鉄道]

「さくら」の思い出と言っても桜の思い出ではありません。季節柄、当然きれいに咲き出した桜花の事を書くべきでしょうが、それはまた後ほどにして、今回は先週見つけた過去の鉄道写真などから寝台特急「さくら」の事を少し・・・。

以前に「コレクションの部屋」のカテゴリーで「さくら」関連の記事を書きましたが、寝台特急「さくら」は私の大好きな列車の一つでした。鉄道仲間のなかには、「関西人のくせに東京発着の列車を・・」と言う人もいましたが、関西発着のブルートレインは日本海縦貫の「日本海」「つるぎ」以外は大阪・新大阪発着で京都には顔を出しませんでしたので、京都を通る列車であり、上り下りの両方が停車するのは「さくら」「みずほ」「いなば」のみでしたので、それなりに愛着はあるのです。特に「さくら」の上り列車は京都4時37分着40分発でしたので、日の出の早い夏なんかはストロボなしでの写真撮影が可能でしたので、よく早朝の京都駅に出かけて写真を撮影しました。
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遠く九州の西の果てからやって来て、まだこれから500キロも先の東京を目指して走っていくのかと思うと、何んとも言えない旅情をかき立てられたものでした。

その憧れの「さくら」には一度だけ乗車した事がありました。
いろんな本の乗車記を読んだりするうちに、どうしても自分も乗ってみたいと思っていたところ、小学5年生の秋にチャンスが到来しました。親戚の叔母さん家族が大阪から福岡に転勤にともなって引っ越したので、おばあちゃんが一度訪ねてみたいと言い出したのです。そこで私は、おじいちゃんに頼み込んでおばあちゃんのお供をさせてもらう事になり、当然「さくら」に乗って行く事を提案。孫の言う事だからと聞いて貰って夢が実現しました。
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出発の日まで指折り数えて待ち、そしてその日の夜11時過ぎに京都駅のホームへ。気持ちがそれまでに無かったくらいドキドキワクワクしたのを憶えています。遠くからチカチカとヘッドライトの明かりが近付き、やがて轟音とともにヘッドマークをかざした機関車が目の前を通り過ぎ、そして続いてきれいなブルーの車体が自分の前に停まりました。そして乗り込み、自分の寝台へ。
自分の寝台に入ってからも興奮が冷めやらず、おばあちゃんに「さくらだ、さくらだ、これがさくらなんだね。すごいね・・・」と深夜にも関わらず一生懸命話しながら、そしていつまでも、車窓に流れる夜景や、時おり光の塊となってすれ違う上り列車、赤く光りながら流れさる踏切りなどを眺めていました。
いつ眠ったのか覚えの無いまま朝をむかえ、列車は山口県西部を走っていました。午前7時過ぎには寝台が取り片付けられ6人掛けのコンパートメントとなり、そこで初めて上の段だった2人ずれのおじさんと顔を合わせました。
おじさんは、「君か、夜に『さくらだ、さくらだ』って乗ってきたのは。鉄道好きなの?」って感じで話しかけてきました。おばあちゃんが「すみません、うるさくて。起こしちゃったでしょう」と謝ると「いえいえ大丈夫ですよ。」「食堂車で朝食でもどうですか」と食堂車へ連れてくれました。
食堂車では、「この車はオシ14の1といって、この形式で1番最初に作られたんだよ」「あそこにプレートがあるから写真に撮るといい」とか、食堂車のウエイトレスさんに「ちょっとこの子に車内の様子を写させてやって」と頼んでくれたり。
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あと、門司での機関車交換の時にもついて来てくれて、「いまあの車掌さんが機関士に紙を渡すから、その時を狙ってね」とか、「この機関車は鹿児島の機関車で、横の鹿と書いてある札がそのしるしなんだ」と教えてくれたり、とっても親切にしていただきました。
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あと、博多で私達が降りる前に、車内販売で東京の榮太樓飴をお土産といって買ってくれました。
とっても鉄道に詳しくて、とっても紳士的なあのおじさん、覚えてる印象から今思うと、あの人はもしかしたらレイルウェイライターの種村直樹さんだったのではないだろうか。
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そんな「さくら」も、3年前の春、長い歴史に幕を閉じました。そして、関西対九州寝台特急の最後の砦の「なは・あかつき」も、東京大阪間の銀河とともにこの春廃止となり、残すは東京-大分熊本の「富士・はやぶさ」のみとなりました。時代おくれかも知れませんが、こんな旅も少しは残っていて欲しいと思うのですが、もう時代の流れは止められないようですね。
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